【療育は楽しいが全て!】楽しい支援が絶対と言える『4つの根拠』!
- 療育は学びだから楽しくなくて当然?
- いつも遊んでばかりでいいの?
- 子どもが楽しんで結局何かいいことあるの?
療育現場ではよく
【支援は子供が楽しめるように派】と【支援はしっかり真面目に派】
の2派閥の争いが展開されます。
私も療育を始めたころはしっかり真面目に派でしたが、今は根拠をもって「楽しめるように派」を名乗ってます。
「支援は真面目に派」から乗り換えた私だからこそ、楽しい支援がいかに大事なのかを身をもって経験してきました。(新人の時には真面目にやらせようとして抑圧するような支援ばかりを行ってきた苦い経験もあります…)
この記事では「楽しい支援にすること」がいかに重要であるかを根拠をもってお伝えしていきます。
今は「真面目派」でも、この記事を読み終わる頃には「楽しく派」になっていることでしょう。楽しみですね!
療育には「楽しい」が絶対と言える根拠
療育には「お子さんが楽しいと思うことが絶対」といえる根拠が4つあります。
- 子どもは遊ぶのが仕事だから
- 学びには興味が必要だから
- 真面目の土台は楽しさだから
- やりたくないを頑張るのは療育の役割ではないから
子どもは遊ぶのが仕事だから
よく「子どもの仕事は遊び」という言葉を耳にします。遊びの根本となる「楽しい気持ち」は重要です。
いやいや。そんな俗っぽい話、根拠にならないでしょ…
と思う方もいらっしゃると思いますが、実際「子どもの仕事は遊び」と言えるんです!
作業療法士は「作業バランス」という言葉をよく使います。
これは【日常生活活動】【生産的活動】【余暇活動】という3つの作業の種類を見ていくものです。これは人によって異なります。
例えば、その人にとって重要な作業や時間を多く使う作業を円の大きさとすると…
この円の大きさや割合は年齢でも大きく変わってきます。
大人にとって重要な「仕事」は子供にとっては「余暇活動(遊び)」であると言えますね。
したがって「子どもの仕事は遊び」というのは遊びが重要である根拠になりえるのです。
学びには興味が必要だから
人が何かを学ぶにはいくつかのステップを踏んでいきます。
ここでいう「学び」は勉強だけでなく、言葉や道具の使い方など生活の中で獲得していくすべてのものに対してのことを言うよ!
何かを学びたいと興味関心をもつ。自分の生活に必要だと感じる。
意欲をもって見る・聞く・読む。いいパートナーが必要。
モデルを参考にする。いい環境が大切。
成功体験をもとに何度も繰り返す。好ましいと感じる。
理解して応用する。
技として身につく。生活で使う。
このステップを見てもわかるように、本人が「やってみたい!」と興味を持たなければ学びのスタートラインにも立つことができません。
さらに、最初は意欲があったとしても楽しいと思う気持ちや成功体験がなければ生活で使えるレベルまで学びを得ることができないこともわかります。
「やらされる勉強」ほど嫌な気持ちになるものはない…。
集中の土台は楽しさだから
みなさんは「真面目な人」ってどんな人を想像しますか?
- 勉強に一生懸命な人
- 何かに集中してる人
- 先生の言うことを聞く人
- ルールに従う人
- 言われたことをやる人
- ほかの人以上に頑張る人
「支援は真面目に派」の先生が言う【真面目な子】は「先生が言ったことを素直にやる子」や「集中して勉強している子」を指すことが多いです。
その「素直さ」や「集中」を作るのも【楽しい】であることを知らないと、子どもとの関係性をつくる時点で失敗します。
素直さを作る【楽しい】
人は自分の要求が通らない状況を非常に苦痛に感じる生き物です。大人は自分で抑制をかけることができますが、子どもはそうもいきません。
子どもは自分の要求や欲求が満たされて初めて相手を受け入れることができます。
自分の話も聞いてくれない人から「やりなさい」と言われても、やるわけがありません。
実際私が働いてきた職場でも「やりなさい」と押し付ける支援をやり続けた結果、子どもからも親からも信用を失っていた指導員がいましたね…。しかも専門的資格を持つ人が多い…。
指示をしたいのなら、まずは目の前の子を受け入れることです。
集中を作る【楽しい】
人は何かに集中しているとき、「フロー」という状態になっています。
図のように、その子にとってちょうどいい難易度とちょうどいいスキルがマッチした状態が「集中」を作ります。
また、このフロー状態では、時間がアッという間に過ぎ去ってしまうと感じるほど、楽しい経験をしています。
つまり集中している状態=その子自身が課題に向き合い、乗り越えることを楽しいと感じている状態
と言えます。楽しくない事に集中することなんて大人でも無理なのに、子どもに求めるのはおかしなことですよね。
やりたくないを頑張るのは療育の役割ではないから
社会はそれぞれが役割を担うことで成立しています。
例えば、飲食店は食べものを提供することが役割です。
では、飲食店が食べ物を提供せず、服の販売のみを行ったら…。
おなかがすいたからお店に来たのに、服しかない…。もうこんな店来ないよ!
と、なりますよね。 これは療育でも一緒! 療育には療育の役割があります。
療育現場にいる先生は「先生」と呼ばれることにより自分は「先生」だと強く思い込む方が多いです。
しかも、子どもに関わる先生といえば学校の先生が頭に思い浮かびますから、当然学校の先生のように振舞うのです。
ここで声を大にして言いたい
療育の先生は、学校の先生ではない!
知り合いの学校で働いている教師がこんな事を言っていました
「やりたくない事もやる」「とりあえず授業を聞く」「周りに合わせて同じことをやる」これを教えるのも学校・教師の仕事なんだ。
つまり、子どもたちは学校でこれらをやってきているわけです。学校がこの役割も担ってくれている以上、療育はこの役割を担う必要はありません。
だからこそ、療育ではお子さん自身が「楽しい」と思って通い、本人自身の成長をサポートする役割を担っていかなくてはいけないのです。
まとめ
療育ではお子さん自身が「楽しい」と思って支援を受けることが重要です。なぜかというと
- 子どもは遊ぶのが仕事だから
- 学びには興味が必要だから
- 真面目の土台は楽しさだから
- やりたくないを頑張るのは療育の役割ではないから
これでもまだ
子どもは療育でも真面目にがんばるべきだ。やるべきことをやらせるのも療育の仕事だ!
って言っている人は
楽しい支援が考えられないことの、言い訳をしているだけ!
周りにこんな人がいたら少し距離を置き、あなた自身で楽しい支援提供をしてあげてください。結果としてお子さんの様子がよい方向に向かっていくのは確実にあなたの支援です。
お子さんの将来を心から願うのなら、「楽しい支援」づくりを忘れないで!